第40回「知られざる適塾出身者に迫る―西洋科学技術の先駆者・武田斐三郎と幕末維新―」
2013年3月23日(日)午後6時 | |||
備後町クラブ 2階 洋室「もみ」 大阪市中央区備後町3-6-14 アーバネックス備後町ビル 電話 06-6264-1598 |
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醍醐 龍馬氏 (大阪大学大学院法学研究科/青雲会60期) | |||
『知られざる適塾出身者に迫る―西洋科学技術の先駆者・武田斐三郎と幕末維新―』 | |||
4,000円(講話 1,000円 懇親会 3,000円 ) | |||
昭和63年生まれ、大阪星光学院高校卒業。現在、大阪大学大学院法学研究科にて日露関係史、日本政治外交史を研究。
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福沢諭吉、大鳥圭介、大村益次郎、橋本左内…、彼らは大阪大学の前身である適塾の出身者として最も著名な人々です。 しかし、適塾は全国各地から多くの優秀な若者が集った場所であり、彼ら以外にも近代日本建設に貢献する数多くの人材を輩出しました。 その一人に、あの勝海舟をして「わが国科学技術の先駆者として万能の逸材であったが、世間の人々がそれ程知らぬのは実に惜しい」と言わしめた程の知られざる偉人がいます。 彼こそが、今回紹介する武田斐三郎その人です。 斐三郎は、適塾塾頭を務め、その後は幕府の命により西洋技術の普及、発展に貢献しました。 例えば、北方からのロシアの脅威に備えて、日本初の西洋式城郭として有名な函館の五稜郭を設計したのも彼です。 今回は、日本の近代化に大きな足跡を残しつつも歴史に埋もれてしまった適塾出身の知られざる偉人・武田斐三郎を皆様に紹介するとともに、彼の目を通して近代日本の夜明けを眺めてみたいと思います。 |
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醍醐さんが前回の万葉集の青雲塾に参加していただいたときに、講師を正式にお願いしました。 青雲塾担当 松井繁幸(第23期)
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第40回青雲塾(2013. 3.23(土) 備後町クラブ) 写真
『知られざる適塾出身者に迫る―西洋科学技術の先駆者・武田斐三郎と幕末維新―』